2010/06/20
私のいちばん古い記憶は3才と2ヶ月のとき。父が死んだ直後の、車の後部座席からの景色で、私と隣に座っていた弟は風邪でヘンテコなちゃんちゃんこを着せられていた。ざらざらとしたチャンチャンコ、座席カバーの白いレースの乾いた感触、知らない車の平たいシート、どれも身体になじまなかった。ああいう感覚をさびしいというのかもしれないと今思う。
記憶(言葉)の前の、もっと古い感覚もある。生まれた直後の、母乳を飲んでいたときの感覚。これはFが生まれて母乳をあげているときに、匂いと光の感じではっと思い出した。思い出した、というより「きらきらと舞い降りてきた」という方がふさわしいかな、甘くて暖かい光の波の中に頭を突っ込んでいる、自分が世界そのもので、その感覚をたどるだけで涙が出てきそうになる、しあわせに溢れた感覚。人はみな、そんな贈り物とともにこの世に生まれてくるんだろうな、と思う。
娘を見ていると時々、自分の小さかった頃をもう一度外側から見ているような気持ちになるときがある。Fもそろそろ、3才と2ヶ月。
on 2010/06/26 1.Kコ said …
わたしも父が亡くなった時のことを覚えているよ。3歳になる13日前のこと。小さなアパートに大勢の人が来て、バタバタ慌ただしくて、なんだかちょっと楽しい気持ちになったこと。
あ、でも、亡くなる前の記憶もあるなぁ。病室で、お父さんの喉に穴が開いて、しゃべれなかったこと。
7月に亡くなって、12月のクリスマスのことも覚えてる。クリスマスケーキをつまみ食いして怒られたの。母が「お父さんが死んじゃってお母さんとケイコの2人きりになっちゃったのに、お前は全然言うことを聞かなくてとても悲しい」と母が泣いたんだ。なんとも言えないカナシイ気持ちで母の声を聞いていた記憶。
3歳って、けっこう覚えてる。良くも悪くも。それを自分に言い聞かせてた。3歳のミチルを相手に。
on 2010/07/02 2.kirin said …
Kちんこんにちは!アメリカから帰ってきたよ。どうもありがとう、お返事おくれてごめんなさいね。
そっかKちんも小さい頃にお父さんを亡くしていたんだね。3才のKちん、健気だなあ。
小さい頃の記憶がある人とない人といるけれど、記憶に日付がないだけだろうなぁと思います。日付のないことってうらやましいことでもあるなぁと思うのだ。
子供の相手をしていると、小さいころのKちんもなぐさめられる気がするとき、ありませんか?