私のいちばん古い記憶は3才と2ヶ月のとき。父が死んだ直後の、車の後部座席からの景色で、私と隣に座っていた弟は風邪でヘンテコなちゃんちゃんこを着せられていた。ざらざらとしたチャンチャンコ、座席カバーの白いレースの乾いた感触、知らない車の平たいシート、どれも身体になじまなかった。ああいう感覚をさびしいというのかもしれないと今思う。

記憶(言葉)の前の、もっと古い感覚もある。生まれた直後の、母乳を飲んでいたときの感覚。これはFが生まれて母乳をあげているときに、匂いと光の感じではっと思い出した。思い出した、というより「きらきらと舞い降りてきた」という方がふさわしいかな、甘くて暖かい光の波の中に頭を突っ込んでいる、自分が世界そのもので、その感覚をたどるだけで涙が出てきそうになる、しあわせに溢れた感覚。人はみな、そんな贈り物とともにこの世に生まれてくるんだろうな、と思う。

娘を見ていると時々、自分の小さかった頃をもう一度外側から見ているような気持ちになるときがある。Fもそろそろ、3才と2ヶ月。